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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)1172号 判決

原告

村井嘉治

右訴訟代理人弁護士

蒲田豊彦

河村武信

被告

株式会社商大八戸ノ里ドライビングスクール

右代表者代表取締役

雄谷治男

右訴訟代理人弁護士

香月不二夫

平田薫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一三二万〇〇〇九円及びこれに対する平成四年一二月一八日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、〈1〉被告と原告が所属する労働組合との間で平成四年年末一時金に関する労働協約が締結され、仮にそうでないとしても同民事上の合意が成立したとして、右一時金の支払、〈2〉被告が違法不当な目的及び態様の下に右労働協約及び合意の成立を遅らせ、もって原告につき支給日在籍要件を欠くに至らせながら、右要件の欠缺を理由に原告に対し一時金の支払を拒むことは不法行為を構成するとして、損害(右一時金相当額(予備的)、慰謝料、弁護士費用)賠償と右金員に対する右協約締結日の後の日である平成四年一二月一八日から支払済みに至るまでの遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告は、自動車教習所を営む株式会社である。

2  原告は、昭和三二年三月、学校法人谷岡学園に商大附属自動車学校の車両整備士として入社し、その後自動車運転技能指導員(以下、技能指導員という。)の資格を取得し、昭和四〇年、それまでに同学園から独立した被告に技能指導員として出向し、平成四年一二月一七日に定年退職するまで技能指導員として勤務した。その間、原告は、全国一般労働組合大阪府本部大阪自動車教習所労働組合商大分会(以下、分会という。)に所属していた。

被告の従業員で組織する労働組合には、右分会と多数組合である商大八戸の里ドライビングスクール職員組合(以下、職組という。)がある。

3  分会は、被告に対し、平成四年一一月六日付け要求書と題する書面(〈証拠略〉)で平成四年年末一時金(以下、本件一時金という。)の要求をした。

4  これに対し、被告は、分会に対し、同年一二月三日付けで、支給対象者を同年三月一六日から九月一五日までの間指導員資格を有し、正社員として勤務し、支給日当日に在籍する者(以下、右の在籍要件を支給日在籍条項という。)で出向社員については年末一時金として、基本給・職務手当・精勤手当を合算した額(計算基準給)に一・九五か月分を乗じた額(本来の一・七五か月に対面教習を実施した者に対する配分支給分〇・二か月を加えたもの)に一律三万五〇〇〇円を加えた金額を支給することなどを内容とする協定書(案)と題する書面(〈証拠略〉)(以下、協定書案という。)で回答した。

5  分会は、被告に対し、平成四年一二月一六日、「支給対象者の項について、平成四年三月一六日より同年九月一五日までの間勤務した者については全て支払うこと」(支給日在籍条項を削除すること)、不利益に変更された項目などの同意しかねる部分を除き、協定書案で妥結する旨を明記した平成四年度年末一時金妥結通知書(〈証拠略〉)(以下、妥結通知書という。)を提出した。

6  被告は、分会に対し、同年一二月一六日、右協定書案を基本的内容としつつ、「Ⅶ支給日、協定書調印後、銀行休業日を除いた日数で計算した七日後に支給する。Ⅷ上記のことをすべて承諾し調印します。」との新しい項目を加えた協定書と題する書面(〈証拠略〉)(以下、本件協定書という。)を持参し、分会に交付した。

これに対し、分会は、被告に対し、同日、口頭で右協定書について妥結する旨回答した。

7  本件協定書の内容に基づき、原告が受領できるとした場合の本件一時金の金額は七〇万〇〇〇九円である。

二  主たる争点

1  原告の本件一時金請求権の発生原因の成否

(原告の主張)

(一) 被告は、分会に対し、平成四年一二月一六日、本件協定書を提示し、分会は、被告に対し、同日、右協定書の内容をすべて受諾する旨口頭で意思表示し、これにより右協定書の内容による本件一時金に関する労働協約(以下、本件労働協約という。)が成立し、かつ、分会は、これに署名捺印し、翌一七日に被告に提出した。

よって、原告は、右労働協約に基づき、本件一時金請求権を取得した。

(二) 仮に、右の主張が認められないとしても、右のとおり分会は、被告に対し、同月一六日、本件協定書の内容をすべて受諾する旨意思表示をした。これにより、分会所属の原告と被告との間に、本件一時金支払について、民事上の合意が成立し、もって、原告は、本件一時金請求権を取得した。

(被告の主張)

(一) 被告の就業規則には、一時金(賞与)の支払について何らの規定も置いていない。したがって、被告は、労働契約上従業員に対し、一時金支払義務を負担していない。

それにもかかわらず、毎年年二回の一時金(賞与)を支給してきたのは、労働組合と団体交渉を行い労働協約(協定書)を締結し、これによってはじめて支給額、支払日、支払方法が特定され、一時金の支払義務が発生したからである。原告所属の分会が結成されて以来唯一度の例外もなく、労働協約の妥結調印によって、これを根拠として調印の日から畧々一週間後を経過した後に支給してきたのである。

(二) 原告主張の右(一)の事実を否認する。

被告の業務課長當内茂樹は、分会の副分会長茅野広治に対し、右同日午後八時二〇分ころ、本件協定書を「これは協定書案に、Ⅶ、支給日と、Ⅷ、上記のことをすべて承諾し調印します、という二項目が追加になっています。この点を分会が承知することと、平成四年一二月一六日の分会の年末一時金妥結通知書を撤回することを条件に会社はこれに調印することになります。」と言って手渡した。その時、右茅野は、「その内容をすべて受諾する。」旨の意思表示はしていない。

被告は、妥結通知書を分会が白紙撤回することを条件にして調印する旨の意思を伝えたのであり、もし何らの条件もなく、被告が右協定書に合意するのであれば、当日、被告側の調印をしたうえで手渡したはずである。

さらに、労働協約は書面に作成され、労使双方が署名又は記名押印することによって成立し、右要式を欠く労働協約は成立そのものが否定され、効力はない。

したがって、原告の主張によるも、本件労働協約は、口頭によって成立したものというのであるから、右労働協約の成立は否定され、その効力を有さない。

(三) 原告主張の右(三)の事実は否認する。

本件協定書をめぐる前記の當内と茅野との会話と事情のもとでは、合意が成立したとは到底言い難い。

2  支給日在籍条項は、原告の本件一時金請求権の存在に消長をもたらすか。

(原告の主張)

(一) 本件協定書は、支給日当日に在籍する者に一時金を支給するとの、いわゆる支給日在籍条項が記載されているが、右協定書には、支給日として協定書調印後、銀行休業日を除いた日数で計算した七日後に支給するとの記載があるところ、本件労働協約が締結され、民事上の合意がなされた一二月一六日の時点では、被告は、右協定書に調印することを拒んでいたのであるから、当時、いつ支給がなされるか不明であって支給日が特定できていなかった。したがって、本件労働協約及び民事上の合意には、支給日の定めがなかったことになるので、右一二月一六日には本件一時金の履行期が到来し、同日が支給日となる。よって、原告は、右支給日に在籍していたので本件一時金請求権を有する。

(二) 支給日在籍条項は、被告が任意に定めた支給日を分会が同意しない限り労働協約が締結されないとすると、定年退職者を狙い撃ちにして被告の任意に従った受給資格が定められることになり、支給日在籍を条件として一時金請求権の成否が決まるに等しく、随意条件を付したのと同様であるから、民法一三四条を準用して、右支給日在籍条項は無効であると解すべきである。

また、支給日在籍条項を含む、分会が前記一、5記載の不同意としていた本件協定書の条項は、分会ないし分会員に一方的に不利益を課すものであり、一時金の支払がないと生活できない労働者に対し、一時金の支給と差し違いに不利益な条項を押しつけるいわゆる差し違い条件を付すものであるから、公序良俗に反して無効である。

さらに、支給日在籍条項は、単に支給手続上の便宜から定められたものに過ぎないし、本件は、原告が被告の就業規則上の定年を理由として退職する場合であり、被告も原告の退職日を予め知悉しており、分会もこれを考慮して被告との一時金交渉の際に交渉の遅延により原告に不利益の生じないよう申し入れていることからすると、原告に一時金を支給しないことについて格別の意義はなく、合理性に欠けるものであり、後記3に記載した本件経過をも考慮すれば、信義則に反する条項であり、右条項を理由に原告に対して一時金の支払を拒むことは信義則に反して許されない。

(被告の主張)

(一) 被告は、一時金の支払に当たっては、従前から分会及び職組との間において、事前折衝・団体交渉によって交渉し、合意が成立すればそれを協定書に作成し、その後に一時金を支給することにしてきた。

そして、一時金については古くから(遅くとも分会との間では昭和四七年夏期一時金から、また、職組との間では昭和四七年同組合が結成されて以来)支給日当日在職する従業員についてのみ支払う旨の、いわゆる支給日在籍条項を合意して協定し、今日に至っており、いわゆる右制度は労使間における長期間の慣習となっている。

(二) 一時金(賞与)支給について、支給日在籍を要件とすることにつき、多くの判例は適法としている。

3  不法行為の成否と損害の有無

(原告の主張)

(一) 被告は、原告が平成四年一二月一七日に定年退職を迎えることを知悉しながら、これをてこに分会との本件一時金の交渉を有利に進めようと図り、前記のとおり支給日を協定書調印後の銀行休業日を除いた日数で計算した七日後、かつ、支給日在籍を要件とし、特別評価による一時金の減額評価を従前より苛酷なものとして、分会が妥結することを困難とし、分会からの再三の団交申入れを拒否して妥結を引き延ばし、一時金の合意の成立を遅らせた上、結局、原告については支給日在籍の要件を欠いているとして本件一時金の支払をしないことは、原告の一時金請求権の違法な侵害であり、不法行為を構成する。

(二) 原告は、右不法行為によって、本件一時金相当額七〇万〇〇〇九円、慰謝料五〇万円、弁護士費用一二万円の損害を被った。

(被告の主張)

(一) 被告は、分会が平成四年一一月六日、年末一時金を含む要求をしてきたのに対し、二回の団体交渉の結果、同年一二月三日、協定書案を分会及び職組に提示した。協定書案の内容は、Ⅳ、特別評価を一部変更・追加した外は、従来からの労使間の協定と同一の条件であった。

これに対し、分会及び職組は、同月一六日、右協定書案に対し、そのほとんどを不同意とし、あるいは新しい提案を含む「平成四年度年末一時金妥結通知書」なる書面を提出した。右妥結通知書なる書面は、その書き出しは「・・・協定書(案)に原則として同意します」とはあるものの、それは単に言葉のまやかしに過ぎず、その内容は被告提案にほとんど反対するものであった。

分会は、従来から、被告と妥結・調印した協定でも、己に不都合なものは後になって「無効」と称して無視するので、その表面上の態度だけでは信用できない交渉相手である。真意と表示とが一致しないので余程慎重に対応しないと欺かれるおそれがある。

そこで、被告は、分会の真意を明確にするため、右妥結通知書の明確な撤回と、「Ⅷ、上記のことをすべて承諾して調印します。」との文言の追加を求めた。

被告の右のような対応に対し、職組は、右妥結通知書を明確に撤回して本件協定書にて妥結する旨申し入れてきたので、被告は、同年一二月一八日に妥結・調印を済ませて同月二五日に支払を了したが、分会は、右通知書の撤回を拒んだので協定が成立しなかった。

(二) 被告が本件協定書に原告主張の「七日後支給」条項を追加したのは、資金調達と支給事務の都合によるもので、従来からの事実上の支給慣行を成文化しただけにすぎない。

被告は、協定書案を同年一二月二日に職組に、翌三日に分会に提示して妥結の意思を表示している。分会がその段階で速やかに妥結調印しておれば、原告が定年退職する同月一七日までに充分支給できたはずである。被告は、同月三日に分会に対し、右協定書案を手交するに際し、わざわざ原告の退職のことに言及し、「早く妥結するように」と注意を喚起しているのに、分会は「その時はその時で対応する。」と言って妥結に応じず、同月一一日、一五日にストライキを実行したりしたうえ、同月一六日には前記のような「妥結通知書」を提示し、ついに原告退職日に至ってしまったのである。被告は、従来から、一時金協定の妥結調印の後、数日を経てから支給していたのであるから、仮に、原告主張のように一二月一六日又は一七日に妥結したとしても、また、被告の「七日後支給」条項の追加の有無にかかわらず原告の受給資格は失われていたのである。

三  証拠関係

本件記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるので、これを引用する(略)。

第三主たる争点に対する判断

一  本件の経過

争いのない事実に証拠(〈証拠・人証略〉)を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告の就業規則には、一時金の支給についての規定はなく、一時金の支給に当たっては、被告と分会及び職組との間において、従来、事前折衝や団体交渉によって交渉し、合意が成立すればこれを協定書(労働協約)に作成して双方が署名又は記名押印し、被告は、おおむね調印後一週間後に一時金を支給してきた(これに反する〈証拠・人証略〉は、〈証拠・人証略〉に照らし採用しない。)。

そして、被告は、遅くとも分会との間では、昭和四七年夏期一時金から、職組との間では、昭和四七年に同組合が結成されて以来、支給日当日在職する従業員についてのみ一時金を支払う旨の、いわゆる支給日在籍条項を設けることを合意して労働協約を締結してきた。

また、被告と職組又は分会との団体交渉は、従来、各組合毎に別個に行われてきた。

2  分会は、被告に対し、平成四年一一月六日付けの要求書(〈証拠略〉)をもって、種々の要求と共に本件一時金の要求をし、同月一三日に団体交渉にて回答されたい旨申し入れた。しかし、被告は、右回答の準備が整わなかったので、右団体交渉を開かず回答をしなかった。そこで、分会は、被告に対し、同月一七日、初めて職組と共同で、共同の団体交渉を同月二四日に行うよう申し入れ(〈証拠略〉)、さらに、同月二五日、右同様に共同団交を同月二七日に行うよう申し入れた(〈証拠略〉)。これに対し、被告は、右両組合では労働条件の異なる組合員がおり、従来の団体交渉の経緯がそれぞれの組合で異なるので、共同で団体交渉を行うことは難しいと考え、右共同団交の申し出をいずれも拒否した。

そして、被告は、分会との間で、同月二四日に団体交渉を行ったところ、職組の役員が右団体交渉の場に一方的に参加したため、結局共同団交の形をとることとなった。

3  さらに分会は、職組と共同で、同月二八日、同年一二月二日に共同団交を開催するよう申し入れた(〈証拠略〉)。これに対し、被告は、共同団交を断り、職組との間で、同月二日に団体交渉を開催したところ、分会役員が右団体交渉の場に一方的に参加したため、結局共同団交の形をとることとなった。そして、被告は、右団体交渉において、職組に対し、本件一時金に関し、協定書案と同内容の回答を文書でするとともに、分会に対し、翌三日に団体交渉を開催することを申し入れたところ、分会は、右回答と同内容の回答では団体交渉をする意味がないとの理由で右申し出を断った。

そこで、被告は、分会に対し、同月二日、同月三日付けの協定書案(〈証拠略〉)をもって本件一時金についての回答を行った。その際、被告は、原告が同月一七日に定年退職になり、これまでの支給日在籍条項では同日までに支給されないと受給資格がないこととなるから、早く妥結するように申し添えた。これに対し、松本修分会長は、「そのときはそれで対応する。」と述べた。

なお、右協定書案は、前年の一時金協定書に比べ、一定の項目に該当する者については一時金を減額して支給するとの特別評価の項目について、無断欠勤一日につき一〇〇分の五から七に、警告一回につき一〇〇分の五から一〇に減額の割合を増やす、校長・管理者の注意処分を受けた者についても減額するとの項目を新たに設けるとの分会員に不利益な変更がなされていた。

被告が右のように協定書案の特別評価の項目に関し変更を加えたのは、警告を受ける者が増加していることから、これを抑制するために採った措置である。

4  分会は、被告に対し、同月三日、翌四日に団体交渉を開くよう、また、同月七日、職組と共同で同月九日に団体交渉を開くよう申入れをしたが、被告は、所用があることを理由に応じなかった。

分会は、被告に対し、同月一〇日付けで、原告の定年退職にあたり解決時に年末一時金などの全額を支払うよう申し入れるとともに、被告が団体交渉を故意に引き延ばした結果である旨を伝えた(〈証拠略〉)。

5  分会は、年末一時金の解決を図ることを目的として、同月一一日と一五日の二回、ストライキを実施した。

被告は、同月一五日、職組との間で団体交渉を行ったが、分会の役員が右団体交渉の場に一方的に参加したため、共同団交の形をとることとなった。

6  被告は、分会との間で、同月一六日、団体交渉を行った。その際、分会は、被告に対し、妥結通知書(〈証拠略〉)を提出した。右妥結通知書は、表題が「妥結通知」とさ、右文中で協定書案に、原則として同意するとは記載されているが、支給日在籍条項や特別評価などの多くの項目については同意しない旨記載されていた。他方、職組は、被告に対し、同日、分会と同旨の内容の妥結通知書(〈証拠略〉)を提出した。

7  被告は、右文書が「妥結通知書」となっており、「協定書(案)に原則として同意します。」と書かれていても、内容的には被告案のかなりの部分に同意しないとする部分があることや、これまで分会が、当初協定しても後に真意ではないとしてこれを覆したりすることがあったことから、分会に対し、右妥結通知書の不同意部分の撤回を求める趣旨から、前記第二、一、6記載のとおり支給日と協定書条項のすべてを承認して調印する旨を確認するとの二項目を協定書案に追加することとした。

そして、被告の當内茂樹労務課長は、北村義秀勤労部長の指示を受けて、松本分会長と茅野広治副分会長に対し、同日午後八時二〇分ころ、新しく右二項目を加えた協定書と題する書面(被告の記名押印はない。)(本件協定書)を交付するとともに、妥結通知書を白紙撤回するように口頭で申入れ、分会が右二項目を承知することと、右白紙撤回をすることを条件に被告は右協定書に調印する旨を伝えた。

これに対し、茅野らは、當内に対し、本件協定書について口頭で妥結する旨述べたが、妥結通知書を白紙撤回する意思はなく、これを撤回することは明言しなかった。

8  分会は、被告に対し、同月一七日、本件協定書に記名押印をして差し出した(〈証拠略〉)。被告は、右協定書を持参した松本修分会長に対し、妥結通知書を白紙撤回することを求めたが、松本分会長がこれに応じなかったので右協定書を受領しなかった。

9  被告は、職組に対しては同月一八日、分会に対しては一九日、本件協定書の内容に同意し、妥結通知書に記載された不同意や条件の項目を撤回することを条件に妥結する旨通知した(〈証拠略〉)。

職組は、被告との間で、同月一八日、妥結通知書に記載された不同意や条件の項目を撤回して、本件協定書の内容で妥結調印し、職組組合員に対する本件年末一時金は同月二九日に支払われた。

分会は、被告との間で、平成五年七月二三日、本件一時金について、本件協定書の内容で労働協約を締結し、支給日は同月三〇日とされた。

二  主たる争点1について

1  原告は、分会と被告との間において、平成四年一二月一六日に口頭で締結された本件労働協約に基づき、本件一時金請求権を取得した旨主張する。

しかし、労働組合法一四条が、「労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによってその効力を生じる。」と規定していることから明らかなように、労働協約の締結は、書面の作成と署名又は記名押印をその効力発生要件とする要式行為である。したがって、口頭によって本件労働協約が成立したとする原告の右主張は失当である。

すすんで、本件労働協約が要式面において欠けるところがあるとして、被告と分会との間において平成四年一二月一六日に本件協定書の内容について合意が成立したかどうかについて検討する。

右認定の事実によれば、被告は、右同日、分会に対し、分会が妥結通知書を白紙撤回すること、協定書案に追加された二項目を含む本件協定書の内容を分会が認めて本件協定書に署名押印することを求め、右の条件が満たされた場合に被告も記名押印して協定を成立させることとして本件協定書に被告の記名押印を留保したまま交付したものであり、これに対し、分会は、妥結通知書を撤回する意思はないし、撤回する旨を被告に明らかにしないまま妥結する旨被告に述べ、さらに翌一七日に本件協定書に分会の記名押印をして被告に差し出したが、被告は、分会が妥結通知書を撤回することに応じないので、右協定書を受領しなかったものということができ、右事実関係からすると、分会は、被告に対し、本件協定書の内容の一部に対する同意を留保したまま、本件協定書による労働協約の締結を申し出たため、右協定書に何らの留保を付けることなく労働協約の締結を求める被告から承諾の意思表示がなされなかったものというべきである。

なお、被告が分会に対し、妥結通知書の撤回(正式には、右通知書記載の協定書案の不同意部分の撤回)を求め、これを明確にしない限り、本件協定書に同意も記名押印もしないとの態度を採ったことに正当性があるかどうかについて検討を加えるに、右認定の事実によると、分会は、従来から被告との間で労働協約を締結し、その履行を終了した後に、その内容に異議を申し出て該協約の効力を否定するなど紛争が発生したことがあり(〈証拠略〉)、このようなことから、被告において、分会に対する不信感が生じ、右のような紛争発生を事前に防止するために、本件協定書案の不同意部分の撤回を明確にすることを求めたものということができ、右のような事情の下においては、被告が右のような態度を採ったことには正当な理由があったものということができる。

よって、被告と分会との間には本件協定書の内容による合意は成立していないというべきであるから、原告の右主張はこの点からも認めることはできない。

2  次に、原告は、被告と分会との間に成立した本件一時金の支給に関する民事上の合意に基づき、右一時金請求権を取得した旨主張する。

しかしながら、原告主張の右合意が成立したものと認めることができないことは、右1において認定説示したとおりであるから、原告の右主張は認めることができない。

3  よって、原告の本件一時金請求は、その請求権の発生原因を認めることができないから、争点2を含めその余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  争点3について

右認定の事実によれば、支給日在籍条項は、従前から被告と分会との間で締結された一時金の支給に関する労働協約に設けられてきたものであり、原告の定年退職時期が関係する平成四年年末一時金に限って提示されたものでないこと、本件一時金支給日を協定調印後銀行休業日を除いた日数で計算した七日後とするとの条項は、従来の一時金支給の取扱いを明文にしたものであること、従前の一時金の協定書に比べて分会員に不利益に変更された特別評価の項目があるが、これは、警告を受ける者が増加していることを理由とするものであって、右理由はあながち不合理とはいえず、減額割合も一〇〇分の五が七ないし一〇への増加であり、それほど大幅なものではないこと、注意処分についても新たに減額の対象とすることが不合理とまではいえないこと、したがって、協定書の内容が従前に比べて大きく変更したり、不合理な内容が挿入されたとはいえないこと、一時金についての労働協約の締結が遅れたのは、分会及び職組が従前は行われていなかった右両組合との共同団交に固執したことにも一因があること、被告において、原告が一時金を受領できなくなることをあえて意図したり、原告が定年になることをてこに分会との交渉を有利に進めようと図って、分会に不利な条項を押しつけたり、分会との交渉を引き延ばして合意の成立を遅らせたとは認められないし、これを認めるに足りる証拠もないことが認められ、以上のような事実関係と就業規則等に一時金の支給に関する規定のない被告のような会社においては、従業員は、会社と労働組合等との間で一時金支給に関する労働協約等による合意が成立して始めて一時金請求権を取得するものであり、また、右の合意に際し、一時金の支給を支給日に在籍する従業員に行う旨定めることは、これを無効とする程の不合理な定めということができないことを総合勘案すると、被告が原告に対し、労働協約が成立していないことや支給日在籍要件を欠くことを理由に、本件一時金を支払わないことが不法行為にあたるとはいえないことは勿論、被告が分会との間の本件一時金の交渉経過等において取った所為に、不法行為を構成するような違法な点があったとは認めることができない。

よって、原告の不法行為を理由とする請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四  結論

以上の次第で、原告の請求はいずれも認められない。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 黒津英明 裁判官 太田敬司)

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